安全登山のために

遭難事故一覧(2001年7月〜)

新着情報として掲載済みの大雪山系を中心とする山岳遭難事故について、独立したページを作成しました(2001年以降分)。後を絶たない遭難事故や、無謀な登山者への警鐘になれば幸いです。掲載にあたり、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。個人情報も非公開にしております。


大雪山を訪れる登山者へ(特に本州の方)
遭難事故一覧
2006年
別項掲載
2002年6月 十勝岳(死亡)
2002年7月 トムラウシ(死亡)
2004年6月 中岳温泉(救出)
2004年9月 黒岳〜旭岳(自力下山)
2005年10月 旭岳(救出)
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年7月〜
大雪山を訪れる登山者へ(特に本州の方)
2002年7月のトムラウシ遭難事故(2名死亡)のときに掲載したものを、整理して転載します。
気象条件
北海道の二千メートル級の山は、本州の北アルプスと同等かそれ以上の厳しい気象条件です。荒天やオホーツク高気圧の影響を受けるときは、盛夏でも0℃前後の気温になることがあり、寒さ対策の装備は一年を通して必携と言えます。好天だからといって、雨具、防寒着などを持たずに入山する人を見かけますが、山の天気は変わりやすく非常に危険です。気象条件には関係なく、非常装備は持つように心がけて下さい。
◆夏でも凍死
2002年6月の十勝岳(みぞれ)、同7月のトムラウシ(台風接近)の遭難死亡事故は、いずれも低体温症(凍死)でした。通常は雨具や防寒具により防ぐことができますが、今回のような暴風雨では役に立たなかったかもしれません。ずぶ濡れになった体に風が叩きつけることで、一気に体温が奪われ、やがては歩行困難・意識障害に陥ります。衣類が濡れた状態で風に吹かれることは非常に危険で、「何とかなるだろう」と荒天の中に身を投ずるのは自殺行為です。

迷いやすい地形・・・天候により状況が一変
広大な台地状の地形になっている大雪山。いったん山懐に入れば、切り立った尾根道や辛いアップダウンが少なく、ハイキング気分で歩けます。でもそれは天候に恵まれた時のことで、荒天になれば状況は一変してしまいます。
明瞭な尾根道ではないだけに、逆に視界が悪い時は迷いやすく、登山道に雪渓が残る時期やロックガーデンではルートを見失わないよう注意が必要です。標識も、破損してたり読み取れないものがあります。それ以前に、設置の数自体が少ないかもしれません。地形図を頼りにと思っても、平坦で特徴が少ない地形のため、高度な読図能力が要求されます。本州の山とは異なり、大雪山は明瞭な標識や登山道が登山者を案内してくれるわけではありません。
強風にも注意が必要です。火山灰台地の平坦な稜線を歩くコースが多く、そのような所ではハイマツや岩などの身を隠せるような場所がほとんどありません。

山中の宿泊はテント泊が原則
大雪山の山中にある小屋は、ほとんどが無人の避難小屋(キャンプ地併設)です。内部は狭く、収容人数は数十人規模傷みが酷くて居心地の悪い小屋もあります一部を除き予約も受け付けていませんし、食事や寝具などもありません。
ところが本州からの登山者の中には、本州の営業小屋のように食事・寝具等が提供されると思い込み、軽装で入山する方がいるようです
。北海道の山では、テント・寝袋・食料等は、全て自分で担いで登らなければなりません。くれぐれもご注意を…。 (白雲小屋と黒岳石室は6〜9月管理人常駐。黒岳石室のみ予約可、自炊用の食料品販売有。)。
そんな状態の避難小屋にも拘らず、夏山シーズンの週末や紅葉の時期は、登山者が殺到して入れない事態が発生しています。ツアーや団体が利用しているという話も耳にします。本来は、荒天や体調不良などのトラブルが発生した時、空いてる時、などに利用するのが避難小屋です。テントを担いで訪れ、空いていれば小屋利用、混んでいればテントを設営する。宿泊にはテント持参が原則です。
避難小屋泊を前提とした縦走も、利用目的に反します。テントが無ければキャンプ地泊や緊急時のビバークができず、大変危険です。登山口から小屋、小屋から小屋の距離が離れている大雪山では、要所にはキャンプ指定地が設置されています。できるだけテントを担ぎ、余裕を持って行動してください。

経験とは・・・
経験についても然りです。本州でいくら登山経験を積んでも、それが営業小屋を頼りに軽装で歩いただけでは、初心者と何ら変わりません。重装備が不安になり必要なもの(テントや防寒具など)まで省いて小屋泊にしてしまったり、逆に慣れない重装備で疲れ果て、予定の時間で歩けない登山者もいるようです。
ツアーや団体でしか登山経験がない方も同じです。自分で下調べをし、自分の判断とペースで歩いたことがない方は経験者とは言えません。
天候に恵まれれば何の問題も起きないかもしれませんが、荒天になれば経験の差がハッキリ出ます。自分の力量を冷静に判断し、過信、慢心することなく山行に望まれるようお願いします。

甘い停滞・撤退・中止の判断
遭難事故の背景には、本州からの登山者(特に中高年)の心理が少なからず影響しているようです。
北海道は遠くて頻繁には来れない、旅費も費やしてる、やっと取れた休暇なので日程は目いっぱい、この機会を逃したら二度と登れないかも→だから荒天でも登る。ツアーの場合はガイドや添乗員に無理を強いる。
多くの登山者が、北海道に着いた時点で、正常な判断はできなくなっているような気がします。特に百名山を目指す人に多く、短期間に一つでも多く登ろうと必死になっているようです。
集団登山における個人の判断にも問題があります。迷惑をかけまいと無理をしたり、体調が悪くなってもなかなか言い出せなかったり・・・。団体行動においても各自がリスクを認識し、危機回避について決断する勇気が必要です。小さな迷惑で済むうちにを心掛けましょう。決して無理せず、撤退も念頭に、余裕を持って行動して下さるようお願いします。





遭難事故例一覧(2001年7月〜)
2006年
7月20日 石狩岳 救出 女性 57歳 旭川 単独
東大雪の石狩岳(上士幌町)に、登山に出かけたまま行方がわからなくなっていた旭川市の女性(57歳)が、7/20日朝、無事救助された。
女性は14日に単独で石狩岳に入山、18日に下山する予定だったが、19日になっても家に戻らなかったため、家族が警察に通報した。20日午前5時半から警察の山岳救助隊など30人が捜索を行なったところ、午前8時半ごろ石狩岳の北側の斜面の沢で女性を発見し、警察がヘリコプターで救助した。女性に怪我はなかった。16日に道に迷い、テントを張って4日間救助を待っていた。
2005年
10月21日 トムラウシ山 救出 男性 36歳 新得 単独
21日午後5時10分ごろ、大雪山系トムラウシ山に登った男性から携帯電話で、「迷ってしまい、暗くなって下山できなくなった」との連絡が、国民宿舎東大雪荘(トムラウシ温泉)にあり、同荘は新得署に届け出た。男性は軽装だったという。
22日早朝から道警山岳救助隊などが捜索を開始。22日午前10時20分ごろ、トムラウシ山短縮登山口から約5キロの登山道西側の沢で、捜索隊に救助された。けがはなかった。同日夕までに下山する見込み。
10月9日 旭岳 救出(骨折、凍傷) 男性 42歳 帯広 単独
旭岳からの下山中(10月9日)に行方不明になった帯広の男性(自衛官)が、8日ぶりに無事救出された。
17日午前9時半ごろ捜索中の自衛隊ヘリが、旭岳ロープーウェイ姿見駅から約4キロ南、天人峡の忠別川上流の谷底で男性を発見し、旭川医大に搬送した。男性は右足に軽い凍傷を負い、肋骨にもヒビが入っているが命に別状はなく、2〜3日の入院で自宅に戻れる見込み。
陸自の関係者が事情を聴いたところ、男性は9日、紅葉をビデオカメラで撮影するために入山。旭岳から下山中にアイスバーンで30メートルほど滑落、ガスで方向を見失い沢筋に迷い込んだという。さらに沢に落ちたときに携帯電話が使用できなくなり、連絡も取れなくなった。服装はウインドブレーカーにスニーカーという軽装で、日帰り予定だったため食料も少なく、8日間をほとんど沢水だけで過ごしていた。夜は行動せず、雨露が凌げる岩場の下などで睡眠をとり体力の温存を計っていたという。男性は「自衛官として軽率な行動だった。関係機関にはご迷惑をかけた」と話しているという。
陸自関係者は、男性は1988年に自衛隊のレンジャーの資格を取っており、少ない食料で何日も生き延びるレンジャーの訓練を受けたことが、今回の生存に繋がったのではないかと指摘していた。

信じられない装備と行動、自衛隊による大捜索などを、別項にまとめました。こちらをご覧ください。
6月11日 トムラウシ山 自力下山 夫婦 46、47歳 東京 2名
11日午後7時50分ごろ、新得町のトムラウシ国民宿舎東大雪荘から「宿泊客の夫婦がトムラウシ山から帰ってこない」と、新得署に通報があった。夫婦は東京の40代の登山客で、同日午前5時半に宿舎を出発、夕方に戻る予定だった。
12日早朝、道警山岳救助隊が捜索を開始したところ、自力で下山している二人を発見し保護した。二人にケガはなかった。新得署によると、二人は11日、頂上近くまで登って下山を始めたが、中腹で日が落ち、暗さで道が分からなくなったため夜が明けるのを待ち、明るくなってから下山を再開したという。
TVのニュース映像では、下山した12日早朝は結構な雨が降っていた。二人ともしっかりした雨具を着ていたが、背負ってたザックはかなり小さく(20リットル程度)、残雪期の悪天候の中、往復10時間の山に入る装備だったかは疑問が残る。
6月中旬のトムラウシは、まだ残雪が多く、登山道も雪渓に覆われているところが多い。特に今年は、春の低温で雪融けが2〜3週間ほど遅れている。地形に不慣れな方は、ルートを見失わないよう注意する必要があるだろう。
5月21日 烏帽子岳 負傷(落雷) 男性 54歳 札幌 6名
21日午後5時45分頃、大雪山系烏帽子岳(2072m)の山頂付近で札幌の男性(54)が滑落したと、登山仲間から携帯電話で道警に届出があった。同日夕、道警ヘリが出動したが、視界不良のため発見できなかった。男性は頭などにケガをしているが意識はあり、その夜は仲間が現場で付き添った。。
翌22日午前7時5分頃、黒岳石室付近で付き添いの仲間と一緒に下山しているところを道警ヘリが発見、男性は救助された。落雷を受けて顔や足などに火傷やケガをしたが、命に別状はない。
旭川東署によると、男性は札幌の山岳会メンバーら6人で黒岳から入山。途中の黒岳石室に2人を残し、4人で烏帽子岳を目指したが、山頂付近で男性が雷にあたり滑落した。
4月17日 旭岳スキー場 救出 男性 52歳 下川町 単独
17日午後1時ごろ、東川町の大雪山系旭岳スキー場で男性(下川町)が行方不明になったと、家族から旭川東署に届け出があった。家族の話では、男性から携帯電話で、「スキーで山を下りている途中、道に迷った」と連絡があり、その後電話が通じなくなったという。
同署は男性がスキーコースを外れ遭難した可能性があるとみて捜索隊を現地に派遣したが、強い吹雪のため、その日は捜索を断念。旭岳ロープーウェイ山麓駅で待機した。
18日朝から、道警や陸上自衛隊などが計60人、ヘリ3機を動員して捜索を開始。スキーコース周辺を中心に捜索したが、男性は発見できなかった。家族あてには、早朝から断続的に電話があり、「切り立ったがけにいる」「ヘリが上を飛んでいる」などと話していたが、居場所はなかなか特定できなかった。
同日15時20分ごろ、捜索中の道警ヘリが、山麓駅から北に約2キロのピウケナイ第三沢川付近で男性を発見し救助した。男性にケガはなかった。
同署によると、男性は滑走中に吹雪で視界を奪われコースを逸脱。当初は自力で下山しようとしたが、日没で断念した。木の陰に身を隠して過ごし、18日は発見現場で救助を待ったという。17日夜の現場付近の気温は氷点下10度を下回っていた。男性は「体は大丈夫。心配をおかけしてすみません」と疲れきった様子で話していた。
2004年
10月5日 旭岳
(姿見〜裾合平)
死亡(凍死) 女性 81歳 士別 パーティ
10月4日17時ごろ、「旭岳で女性(81)が行方不明になった」と登山仲間が旭川東署に届け出た。
女性(士別市)は登山仲間11人と、旭岳ロープーウェイ姿見駅から中岳温泉を目指して歩いていたが、同日午前10時ごろ、姿見駅から40分ほど歩いたところで、「疲れたので戻る」と一人で引き返す途中、行方不明になった。
5日早朝から捜索したところ、午後1時過ぎ、登山道(姿見駅〜裾合平)から約2キロ離れた沢の岩陰で女性を発見。自衛隊のヘリで病院に搬送したが、既に死亡していた。死因は凍死。
女性は下山する途中で道を間違え、沢に入り込んでしまったらしい。5日朝の姿見駅付近の最低気温は1℃。防寒着や食料を持たず、ジャージの上下にスニーカーという軽装備だった。リーダーの男性は、「天気が良く、本人も『心配ない』と言ったので甘えてしまった。年齢を考えるとサポートが必要だったと反省している」と述べていた。

姿見駅〜裾合平の区間は、旭岳山麓に位置し、高低差はほとんど無い。ただし小さな沢を幾つも越えるので、細かいアップダウンのあるジグザグルートになっている。残雪期や視界不良のときはもちろん、初心者や高齢者は、好天でも注意が必要だろう。
9月13日 黒岳〜旭岳
(日帰り縦走)
自力下山
(低体温症)
女性 60歳 徳島 パーティ
13日午後4時頃、「大雪山系の縦走路(黒岳〜旭岳)で、仲間の女性が疲労で動けなくなった」と、旭岳温泉側に下山した徳島県の登山グループから、旭川東署に救助要請があった。動けなくなった女性(60)にはリーダーの男性(63)が付き添い、二人が山中にとどまっている。
日帰りの予定で装備は軽装。二人はテントや寝袋などは持っていないという。下山したメンバー(13人)のうち、女性一名(67)に低体温症の症状があり、病院に収容された。
道警山岳救助隊が同日夜に旭岳中腹まで上がったが、風雨が強く、午後9時にこの日の捜索を断念した。

一行は徳島県の山の会のメンバー。13日午前8時ごろ層雲峡温泉を出発し、同日中に黒岳、中岳、間宮岳、旭岳を経由して旭岳温泉まで縦走する計画だった。当初、男女27人で黒岳に向かったが、うち12人は悪天候のため途中で引き返し、15人が縦走を続けたという。その後、二人を山中に残し、13人が旭岳温泉側に下山した。
14日朝、自力で無事下山
大雪山系を縦走中に下山できなくなった徳島県の男女二人は、14日午前、縦走中の大学生に付き添われ、自力で旭岳5合目のロープウェー姿見駅まで下山。病院に収容された。衰弱はしているものの、二人とも生命に別条はないという。

旭岳付近は13日から風雨が強く、視界は二、三メートルしかなかったという。
二人は、仲間と別れた裏旭キャンプ指定地の岩陰で傘を差して風雨をしのぎ、翌14日朝になって再び歩きはじめた。午前7時10分ごろ、縦走中の帯広畜産大山岳部の学生二人が、旭岳の山頂付近を歩いている二人を発見し、登山口のロープウェイ姿見駅まで下山を助けた。
下山途中、女性は何度も「助けて」とうわ言のようにつぶやいていたといい、姿見駅では救助隊員に「すみません。お世話を掛けました」と深々と頭を下げた。
 詳細は別項へ
8月22日 化雲岳〜
天人峡温泉
救出(捻挫) 男性 76歳 東京 2名
22日午前1時頃、化雲岳から天人峡温泉へ下山中の男性が足にケガをして下山できないと、登山仲間から旭川東署に届出があった。同署山岳救助隊が現場に向かい、午前8時ごろ、天人峡温泉から約1.2キロの地点で男性を救助した。
男性は二泊三日の予定で、札幌の男性(54)と19日に天人峡温泉から入山。21日に下山中、転倒して右足を捻挫した。
7月7日 十勝連峰〜
トムラウシ山
(縦走路)
救出 男性 63歳 千葉 パーティ
7日午前5時半頃、十勝連峰〜トムラウシ山の縦走路(コスマヌプリ近くの1668地点)にいる千葉県のパーティから、「仲間の男性(63)が心臓の苦しみを訴え動けなくなった」と、携帯電話で警察に通報があった。同日午後3時頃、道の防災ヘリが救出し、旭川の病院に運んだ。男性は不整脈などの症状はあるが命に別状はない。男性は心臓に持病があった。
7月1日 旭岳 死亡(凍死) 男性 72歳 佐賀 2名
1日午前11時半頃、旭岳の山頂直下(9合目)で「両足にけいれんを起こして動けない男性がいる」と、通りがかった登山者から、携帯電話で警察に救助要請があった。天候が悪くヘリが出動できなかったため、旭川東署と東川町の捜索隊が徒歩で救助に向かい、同日午後4時25分ごろ、8合目付近で男性(72歳)を救出したが、既に体温が低下しており、病院に収容したものの約3時間後に死亡(凍死)した。死因は低体温症とみられる。
死亡したのは佐賀県の男性で、登山仲間の佐賀県の男性と、旭岳から黒岳〜層雲峡と縦走の予定だった。午前6時半ごろ、雨の中、ロープーウェイ姿見駅を出発。天候が回復しなかったため頂上付近で引き返そうとしたが、男性が両足にけいれんを起こして動けなくなってしまった。
通りがかった登山者(札幌の男性)が救助要請する一方、3人は自力で8合目まで下り、このうち佐賀県の男性(72)は連絡のために先に下山。札幌の男性が付き添いで残っていた。
同日正午の、旭岳ロープーウェイ姿見駅(5合目)は、気温1度、風速約10メートル、霧で視界は10メートルほど。亡くなった男性は、セーターの上にウィンドブレーカーを着用していた。旭岳ロープウェイの関係者は「きょうは冷え込みが激しく、姿見駅まで来てから登山を中止する人も多かった」という。
6月21日 中岳温泉
(旭岳山麓)
救出(無傷) 男性 68歳 千葉 2名
(他2名)
台風6号が接近し、荒れ模様の天候が予想されていた21日午後、大雪山系で登山者4人が山中で動けなくなり、道警ヘリに救出される騒ぎがあった。
21日午後2時ごろ、大雪山系の中岳温泉付近を下山中の男性(68)から「道が険しくて下山できない」と110番通報があった。男性はこの日早朝から友人と2人で登山を開始。正午ごろ、中岳温泉付近で「道が分からない」と旭岳ロープウェイに携帯電話で問い合わせ、道を教えてもらったが、午後2時ごろ「雪があるので下りられない」と警察に通報してきた。
道警はヘリを出動させ、午後3時40分ごろ、計4人をヘリで救助。4人にけがはなかった。一緒に救助されたのは、途中で合流した旭川市内の男性(61)と妻(58)。夫婦は「怖がっている男性を見捨てられず、付き添っていた」と話しているという。
(北海道新聞の情報より)
 詳細は別項へ
5月3日 旭岳 救出(骨折) 男性 54歳 登別 パーティ
(6名)
5月3日15時ごろ旭岳裾合平付近で、登別市の男性登山者(54)がスキーで下山中に転倒し負傷した。無線を傍受したアマチュア無線家(士別)が警察に連絡。男性は、同日17時50分、道警ヘリで救助され旭川の病院に搬送されたが、右膝骨折の重傷。男性は、男性5人女性1人のパーティで2日から入山し、4日に下山の予定だった。
2日は快晴だったが、3日は強い南風が入り天気も下り坂だった筈である。旭岳石室は緊急時以外は宿泊不可なので、パーティはテント泊だったのだろうか? この時期の旭岳はまだ冬山。風が強い山域でもある。よほど天候に恵まれない限り、日帰りで楽しむのがベストだと思うが・・・。
4月24日 下ホロカメットク山
(十勝連峰)
救出(軽傷) 女性 31歳 パーティ
(3名)
4月24日19時ごろ、下ホロカメットク山に入山中のパーティ(3人)から携帯電話で、「山頂付近で女性(31)が足を負傷して動けなくなった」と、所属する山岳会を通じ、道警に救助要請があった。
道警と山岳会の救助隊が新得町側から救出に向かい、25日午後、事故パーティと合流。負傷者とともに下山中、道防災ヘリに救助され、札幌の病院に搬送された。女性は右足首に軽傷、同行の男性二人に怪我はなかった。
3人は24日朝、十勝岳温泉(上富良野町)から一泊二日の予定で下ホロカメットク山に入山したが、山頂からの下山中、女性が滑落し負傷したもの。パーティは救助要請をしたあと、現場でビバーク(テント)していた。
4月18日 旭岳 救出 女性 47歳 旭川 夫婦
4月18日午後4時ごろ、旭岳・姿見の池付近で、旭川の女性(47)がスノーボード中行方不明になった。
翌、19日午前7時45分ごろ、行方不明地点から南西に約四キロ離れた二見滝(標高1100m)付近で、捜索していた道警ヘリによって発見、救助された。女性に怪我はなかった。
女性は、一緒に滑っていた夫と旭岳の姿見の池付近で別れた後、登山コースの山頂方向に歩いて登り、滑り降りている途中でコースを外れ迷ったらしい。「木の根元の穴に入り、スノーボードで穴をふさいで一夜を明かした」と話しているという。
3月6日 旭岳
(スキー場)
死亡 男性 37歳 札幌 グループ
(3名)
3月6日午後1時50分ごろ、上川管内東川町の旭岳スキー場で雪崩が発生し、スキーをしていた札幌の男性(37)が巻き込まれた。約20分後、近くにいたほかのスキー客らに救助され、道警ヘリで旭川市内の病院に運ばれたが、翌7日午前、蘇生(そせい)後脳症で死亡した。男性は三人のグループで6日正午すぎからスキーを始め、雪崩発生時、仲間一人と一緒に禁止区域を滑っていた。
雪崩は、旭岳スキー場のロープウエー姿見駅から200〜300メートル下の「盤の沢圧雪コース(Aコース)」のコース外(禁止区域)で発生。規模は、斜面表面の厚さ20センチの雪が幅10メートル、高さ10メートルだった。
スキー場を運営する「旭岳ロープウェイ」によると、当時、現場付近は曇りで、気温は氷点下16度。視界は良好だった。スキー場には当時、百人前後のスキー客がいたそうである。
1月29日 旭岳 負傷(凍傷) 男性 25歳 奥尻 単独
1月29日午前10時頃、旭岳に登山中の男性(単独、25歳、奥尻町、自衛官)から、「下山途中、道に迷った」と携帯電話で旭川東署に通報が入った。陸上自衛隊のヘリが捜索したが、同日午後4時、吹雪のため中断。
翌30日捜索を再開。午前7時45分頃、旭岳7合目付近で手を振る男性をヘリが発見して救助。顔や手足に凍傷を負っていたが命に別状はなかった。
男性は、27日に単独で入山し29日に下山予定だった。遭難した29日午前の旭岳は、天候は曇り時々雪、気温は氷点下20度、風速15メートルで視界は悪かった。テントのポールなどを強風で飛ばされたため、テントのシートを体に巻いて体温が下がるのを防いでいたらしい。
男性は冬山登山は初めてだったらしいが、それが荒天の旭岳とは・・・。生還できたのは幸運としか言いようがない。
2003年
9月20日 羅臼岳 救出 男性 22歳 大阪 単独
9月20日午後2時25分ごろ、羅臼町立林間キャンプにテントを残したまま行方不明になっていた大阪市の男子大学生(22歳)が、羅臼岳中腹の沢(頂上から南東約3キロの海豊川付近)にいるのを捜索中の自衛隊ヘリが発見、無事収容した。学生は羅臼町内の病院に搬送されたが、かなり衰弱しているものの意識ははっきりしており、「下山の際、道を間違えた」と話している。
当初は14日に行方不明になったとみられていたが、家族らによると、12日昼すぎに羅臼岳登山を開始。同日午後6時ごろ頂上に着いたが、日が暮れたため野宿し、翌13日早朝、下山を始めた直後に道を間違えて、沢筋に迷い込んだらしい。
装備は、ジーンズにフード付きのジャンパー、トレッキングシューズという軽装で、食料は柿の種とピーナツが交じった菓子袋一つ。これを食べてしまった後は、沢水を飲むだけだった。17日から毎日、ヘリの音を聞いており、19日には手を振ったが気づいてもらえなかったという。「もう二、三日発見が遅かったら生きて帰れなかったかもしれない」と話しており、救出時に自衛隊員が「良かった、良かった」と声を掛けると、黙って二、三度うなずいたという。
大雪山系の遭難事故ではありませんが、無謀な登山にもかかわらず奇跡的に生還できた事例として掲載しました。
9月4日 ニペソツ山
(東大雪)
死亡(転落) 女性 65歳 石狩 ツアー
(5名)
9月4日18時35分ごろ、ニペソツ山(2013m)に登山した石狩市の女性(65)が下山しないと、仲間の登山者が帯広署に届け出た。翌5日の捜索の結果、登山道から約1キロ離れた標高約1800m付近の沢で女性を発見したが、既に死亡していた(転落死)。
女性はツアー登山(ガイド1名)に参加し、ニペソツ山に登頂。午前11時ごろ、仲間5人と下山を始めたが午後1時ごろ行方不明になった。すぐに仲間が1900m付近まで登り直して捜したが、見つからなかった。
下山中、遭難者の前後は100mほどの間隔が開いており、遭難に気づくのが遅れただけでなく、遭難場所の特定も困難になった。引率していたガイドの責任は、免れないかもしれない。
7月8日 旭岳 2名死亡
(心筋梗塞)
男性 73歳 青森 夫婦
男性 62歳 旭川 単独
7月8日、大雪山旭岳で男性登山者が二人死亡した。死因は心筋梗塞で、別々のパーティだった。8日の旭岳の天候は晴れて穏やかだった。
青森県の男性(73歳)・・・午前9時頃、夫婦で登山中に9合目で突然倒れた。登山歴50年以上のベテランだった。
旭川市の男性(62歳)・・・午後0時45分頃、登山道の7合目で倒れているのを他の登山者に発見された。
2002年
9月13日 十勝岳 死亡(凍死) 女性 65歳 札幌 家族
9月13日午前8時ごろ、十勝岳に登った札幌の女性(65)の弟(54)から旭川東署に「姉が意識がなくなり、動けなくなった」と110番通報があった。同日午前9時10分ごろ、道警のヘリが山頂から約500メートル離れた地点で女性を発見、旭川医大へ搬送したが既に死亡しており、死因は凍死だった。
12日午前、
女性は弟と日帰りの予定で望岳台を出発し美瑛岳を経て十勝岳に入ったが、風雨が強いうえに冷え込みが厳しかったため女性が衰弱。弟が夜明けを待って一人で白金温泉に下山し、旭川東署に通報した。二人とも寝袋等のビバーク装備を持っておらず、カッパの上下の軽装で夜を明かした模様。
6・7月に続いて、また遭難死亡事故が続けて起きてしまいました。死因も同じ凍死です。
前回と違う点があるとすれば、登山中の天候の急変でしょうか。
登り始めはまずまずの天気で気温も大して低くはなかったのが、山中ではガスに覆われ気温が急降下(0度前後)。冷たい風雨や吹雪にさらされながら行動した結果「低体温症」に陥り、やがて歩行が困難なって凍死したのではないかと想像しています。
加えて、2件の遭難事故に共通するのが地形的要因です。火山灰台地の稜線で、風雨が強くてもハイマツや岩など身を隠せるような場所がほとんどありません。
8月後半以降、大雪山には秋の気配が漂い、寒気が強弱を繰り返しながら冬へ突入していきます。平野部の天気予報が晴れでも山には寒気の雲がかかるようになり、山中は終日曇り、または晴れても数時間だけということが多くなります。小春日和の平野から眺めていると軽装備でも登れそうに思えますが、標高の高い所は雪が舞う季節になっています。実際、12〜14日にかけて大雪山の二千メートル級の高山帯では降雪があリましたが、近くの旭川では、最低が10℃前後、最高が18℃前後で、特別寒いわけではありませんでした。
高山に登る時は平野部の気温や天候だけで判断せず、
防寒対策、ビバーク装備や地図・コンパスの携行、事前の情報収集等を万全に行ってください。
9月12日 黒岳 死亡(凍死) 男性 73歳 京都 単独
9月12日午後4時50分ごろ、大雪山系黒岳に登った京都の男性(73)の妻から旭川東署に「下山予定日を過ぎても夫から連絡がない」と電話で届け出があった。同署と上川町遭難対策協議会が13日午前6時から捜索を始めたところ、道警ヘリが午前11時5分、旭岳山頂直下のニセ金庫岩付近で男性の遺体を発見した。
黒岳に登った男性が何故旭岳で遺体で発見されたのか、予定ルートなど詳細は不明。
9月5日 旭岳 救出(骨折) 女性 59歳 夫婦
9月5日午後0時15分頃、大雪山旭岳の山頂付近で、女性(59)が足を負傷して動けなくなったと110番通報があった。約2時間後に道警のヘリが女性を救助、旭川市内の病院に収容した。女性は、夫とともに同日午前8時すぎから旭岳に登ったあと、下山途中に足を滑らせ右足首を骨折した模様。
8月12日 音更山
(東大雪)
救出(火傷) 女性 大学生 札幌 パーティ
(6名)
8月12日午前6時15分頃、東大雪・音更山の山頂付近で札幌の女子大生が両足をやけどして動けないと携帯電話で通報があった。道警のヘリが約三時間半後に救助し旭川医大に収容したが、女子大生は両足に軽いやけどの模様。
女子大生は11日、仲間6人とユニ石狩川林道から同山に入山。事故当時は朝食の準備中で、みそ汁の入った鍋を持ち上げたところ、バランスを崩して転んだらしい。
8月9日 オプタテシケ山
(十勝連峰)
救出(骨折) 女性 21歳 群馬 パーティ
(17名)
8月9日午前8時10分頃、十勝連峰・オプタテシケ山の山頂付近で群馬県の女子大生(21)が転倒して足を負傷したと携帯電話で通報があった。悪天候のためヘリが飛べず、道警と美瑛町遭難対策協議会の救助隊が担架で搬送し夕方下山したが、女子大生は右足を骨折。
女性は大学のワンダーフォーゲル部員で仲間17人と入山。8月2日に表大雪・黒岳から入山し、9日に十勝連峰・白金温泉に下山の予定だった。当日の天候は小雨で視界200〜300メートル。
8月5日 間宮岳
(表大雪)
救出(骨折) 男性 62歳 茨城 パーティ
(5名)
8月5日午後0時20分頃、表大雪・間宮岳近くで茨城県の男性(62)が転倒して動けなくなったと携帯電話で通報があった。道警ヘリが約2時間後に救出したが、男性は左足首を骨折。男性は5人パーティで旭岳温泉から入山し、黒岳石室に宿泊したあと層雲峡に下山する予定だった。
7月11日
 〜13日
トムラウシ山 2名死亡 女性 59歳 愛知 パーティ
(4名)
女性 58歳 福岡 パーティ
(8名)
台風接近という悪天候での遭難で、長く記憶に残る事故である。
 詳細は別項へ
6月9日 十勝岳 死亡(凍死) 男性 65歳 千葉 ツアー
6月9日午前10時ごろ、十勝岳山頂近くで、千葉県の男性(65歳)が倒れ意識不明になった。男性は首都圏からのツアーで入山(客18名、登山ガイドと添乗員各1名)。上富良野側から十勝岳に登り、美瑛側に日帰りで下山する予定でした。登山中に「寒い」と訴えたあとまもなく倒れ、意識不明(呼吸停止)なった模様。
ガイドらは携帯電話で救助の要請をするとともに、天候が悪化したため他の参加者の安全を優先。救助隊の到着を想定し、男性を残して全員下山した。しかし現地は風と雪が強く、上富良野十勝岳山岳救助警備隊が男性を収容できたのは、二日後の6月11日昼過ぎ。死因は凍死だった。男性は雨具をバスに忘れたため、ベストの上にウィンドブレーカーという軽装だった。
ツアーは東京の旅行会社が企画。客の平均年齢は63歳。6月7〜9日の2泊3日で道内2山を登るという強行日程だった。天候は、出発時は曇りだったがまもなく強風と雨、その後はみぞれから吹雪に変わったらしい。
 詳細は別項へ
2001年
10月
第4週
旭岳〜当麻岳 自力生還 男性 外国人 単独
姿見駅から旭岳を周回する予定で出発した男性(外国人)が下山せず、遭難騒ぎになりました。コースを欲張った結果登山道を見失ったそうですが、すぐ引き返して登山道でビバーク。結局翌朝無事下山しました。登山経験が豊富だったのと、夜間の気温が高かったため、無事生還となりました。
なんと日帰りで、姿見駅〜旭岳〜北鎮岳〜安足間岳〜当麻岳〜裾合平〜姿見駅の予定だったそうです。
10月19日 旭岳 行方不明 男性 札幌 単独
旭岳に登った札幌の男性が行方不明になりました。
男性は登山届が未提出。さらに単身赴任中で週末を挟んだため会社・家族からの連絡が遅れ、捜索開始が週明けの24日になってしまいました。その後捜索は連日行なわれましたが発見できず、結局捜索打ち切りになりました。
当日8合目辺りで目撃されていたのですが、捜索では登山道付近には男性の痕跡がなく、下山中に登山道を外れたのではないかと思われます。
7月24日 旭岳 無事発見 男性 62歳 大阪 単独
7月24日午前、旭岳7合目の登山道付近で無人のテントが畳んだ状態で発見されました。遺留品から大阪の男性(62歳)のものと判明し、遭難の可能性もあるとして捜索を開始しました。
その後、26日になってその男性が自宅に戻ったことが確認され無事が判明しました。
男性の話では、23日夕方に旭岳に登ろうとしたが大雨と霧のため7合目でテントを被りビバーク。24日早朝にテントを放置したまま下山したそうです。テレビのニュースでは本人の話として、「テントが雨に濡れて重くなったので、放置して下山した」と伝えていました。登山届も提出されていませんでした。
とんでもない話で、警察からも厳重注意を受けたようです。
7月23日 トムラウシ山 死亡 男性 42歳 神奈川 単独
7月23日午前9時半頃、「トムラウシ温泉〜トムラウシ山コース」のカムイサンケナイ川上流で、神奈川県の男性(42歳)が下山中に増水した沢に転落して亡くなりました。19日に旭岳温泉から入山し、23日トムラウシ温泉に下山予定でした。
前夜から激しい雨が降り続き、普段は20センチ程度の川の水位が1メートル以上に増水していたとのこと。沢沿いの登山道は水没し、渡渉の繰り返しになっていたと思われます。。
登山道は沢の源頭部付近を1キロ弱歩くだけで、雪渓が無くなれば秋には涸れ沢になるほど水量が少なく危険のない沢です。そう考えると相当の豪雨だったと思われます。亡くなられた方はおそらくこのコースが初めてで、普段の沢の状態も知らず、雨の中無理して下山していたのではないかと想像しています。
この遭難事故などがきっかけで、2003年9月、登山道が付け替えられました。


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