救出までの経過(北海道新聞など、各報道機関の情報より) |
◆10月10日
10日午前5時20分ごろ、帯広市の自衛官(42)の妻から「旭岳に行った夫が帰らない」と帯広署を通じて旭川東署に届け出があった。
同署と陸上自衛隊第二師団は、旭岳で遭難した可能性があるとみてヘリコプター3機と捜索隊を出動させて捜したが、手がかりは見つからず、日没のために午後5時でいったん捜索を打ち切った。
同署などによると、男性は「午後7時には戻る」と言って9日午前8時ごろに帯広を出発し、一人で旭岳へ向かった。その後、旭岳ロープウェイ山麓駅の駐車場で男性の車が発見された。 |
◆10月11日
道警山岳遭難救助隊と陸上自衛隊第二師団は、男性が旭岳(2290m)で遭難したとみて、11日朝から約60人態勢で捜索を再開、自衛隊ヘリコプターも上空から捜しているが、11日午後1時現在見つかっていない。
同署などによると、男性はテントなど非常用の装備は持っていないという。同日午後1時すぎ、携帯電話で撮影したとみられる写真付き電子メールを、友人に送信していた。旭岳山頂には最大で10センチ程度の積雪がある模様。 |
◆10月13日
13日午前10時半ごろ、遭難男性からとみられる110番通報が旭川東署にあった。
通報は携帯電話で断続的に3回あり、しっかりした口調だった。しかし10時53分を最後に電話は途絶え、男性の携帯電話にかけても通じない状態になった。
通話の内容は、以下の通り。
10時30分…「旭岳の南側、二つ目の山を越えた岩の上にいる。」
10時34分…「南西斜面の山を越えた沢…」
10時53分…「雲はない。ヘリの音は聞こえない。」
道警や陸自は13日、男性からの救助要請に基づいてヘリ四機を出動させたが発見できず、同日夕、捜索をいったん打ち切った。 |
◆10月14日
自衛隊と道警がヘリ8機を投入し「一気に勝負をかけた」(旭川東署)が、手掛かりを見つけることはできなかった。体力への自信ゆえに移動を重ねている可能性もあり、同署幹部は、山の尾根が幾十にも連なる山系の特質を挙げた上で「動けば動くほど、捜索範囲が広がる」と困惑している。 |
◆10月17日 救出
17日午前9時半ごろ捜索中の自衛隊ヘリが、旭岳ロープーウェイ姿見駅から約4キロ南、天人峡の忠別川上流の谷底で男性を発見し、旭川医大に搬送した。男性は右足に軽い凍傷を負い、肋骨にもヒビが入っているが命に別状はなく、2〜3日の入院で自宅に戻れる見込み。
陸自の関係者が事情を聴いたところ、男性は9日、紅葉をビデオカメラで撮影するために入山。旭岳から下山中にアイスバーンで30メートルほど滑落、ガスで方向を見失い沢筋に迷い込んだという。さらに沢に落ちたときに携帯電話が使用できなくなり、連絡も取れなくなった。服装はウインドブレーカーにスニーカーという軽装で、日帰り予定だったため食料も少なく、8日間をほとんど沢水だけで過ごしていた。夜は行動せず、雨露が凌げる岩場の下などで睡眠をとり体力の温存を計っていたという。男性は「自衛官として軽率な行動だった。関係機関にはご迷惑をかけた」と話しているという。
陸自関係者は、男性は1988年に自衛隊のレンジャーの資格を取っており、少ない食料で何日も生き延びるレンジャーの訓練を受けたことが、今回の生存に繋がったのではないかと指摘していた。 |
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◆10月20日 退院
旭川市内の病院を退院、病院前で報道陣に心境を語った。「迷惑をかけ申し訳ない」と述べるとともに、「毎日、行けそうな場所まで四、五時間かけて移動した」と遭難中の様子を話した。
遭難中は連日、捜索のヘリが男性の近くを飛んでおり、「必ず助かるとの信念を持ち、冷静でいられた」と振り返った。水以外を口にできず「どう体力を温存するかを常に考えていた」という。 |
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