2002年7月
トムラウシ山遭難事故

2002年
7月11日
 〜13日
トムラウシ山 1名死亡 低体温による
脳梗塞
女性 59歳 愛知 パーティ
(4名)
1名死亡 凍死 女性 58歳 福岡 パーティ
(8名)
2002年は遭難事故の多い年でした。6月の十勝岳(死亡)、7月の天人峡クワンナイ沢(救出)、その後も負傷事故が続き、9月には再び死亡事故が2件。大半が本州からの登山者の遭難事故でしたが、中でも7月のトムラウシ山の遭難事故は悲惨で、報道の取り扱いも大きなものでした。台風接近で確実に悪天候が予想される状況だっただけに、もっと冷静沈着に行動すれば回避できた事例であり、本当に残念です。
今回に限らず、遭難してもおかしくない本州からの登山者には幾度となく遭遇しており、
遭難予備軍は非常に多いと感じています。実際、暴風雨当日は、遭難したパーティ以外にもトムラウシ山周辺多数の登山者がにいたらしく、驚いています。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、今回の遭難例を通して、改めて本州からの登山者に注意を呼びかける次第です。
遭難の経過 7/9〜13
日付 台風の位置
大雪山の天候
愛知県中高年パーティ
(50〜60代の女性4人)
福岡県中高年パーティ
(ガイド含む男女8人)
登山
計画
- 山の会に所属していたが、今回は個人のグループ山行だった。亡くなられた方が、リーダー格だった。

旭岳温泉から2泊3日の縦走目的で入山。11日にトムラウシ温泉に下山予定だった。
小屋泊まりを前提にテントは持たず、ツェルトを二つ携帯。食料は3日分。
テントを省いたのに、ザックの重量はかなりのもので、相当ゆっくりした山行だったらしい。テントを持っていなかったので、時間はかかっても、小屋まで行かなければならなかった。
引率者のガイドがツアーを企画。4泊5日の日程で北海道に入る。ガイドは福岡県の山岳ガイド。日本山岳ガイド連盟の公認ガイドだったが、トムラウシ山は今回が2回目だった。
一行はトムラウシ温泉「東大雪荘」に宿泊し、11日から2泊3日の縦走の予定だった。テントやツェルトを持っておらず、宿泊予定の避難小屋まで行かなければならなかった。
旭岳温泉
 ↓
9日 白雲岳避難小屋泊
 ↓
10日 ヒサゴ沼避難小屋泊
 ↓
11日 トムラウシ温泉
トムラウシ温泉
 ↓
11日 ヒサゴ沼避難小屋泊
 ↓
12日 白雲岳避難小屋泊
 ↓
13日 旭岳温泉
9日(火) 台風は
本州の南海上

曇時々晴れ
旭岳温泉
 ↓
(10時間)
 ↓
白雲岳避難小屋泊
混雑していて睡眠不足になる。
-
10日(水) 台風は関東地方に接近し、北側の雲は北海道にかかり始める
薄曇のち
夕方から風雨強し
白雲岳避難小屋
 ↓
(11時間以上)
 ↓
ヒサゴ沼避難小屋泊
他に9パーティが同宿。
夕方から風雨が強くなり、停滞も考慮する。
トムラウシ温泉「東大雪荘」に宿泊。
11日(木) 未明、関東上陸
風雨強し
早朝、他の登山者のラジオで、天気予報を確認。今後の行動について話し合うが、予定通りトムラウシ温泉に下山することを決定。
理由は以下の通り。
・台風の北海道接近は翌日らしい
・天候回復の見通しが無い
・長引くと食料が足りない
・他のパーティの多くが下山開始

ガイドは「台風は北海道に近づくまでに弱まる」と判断。
早朝、風雨が強い中、出発

(入山届は未提出)
 ↓
トムラウシ山へ向かう
台風は勢力が衰えることなく、スピードを上げて北上

正午、岩手県沖

暴風雨
ヒサゴ沼避難小屋
午前5時半出発

同じルートで他に2組が下山。
 ↓
トムラウシ山頂を通らずに、北沼から西斜面を迂回して南沼キャンプ地を通過するルートの予定だったが、道を誤り、山頂に向かってしまう(キャンプ地には停滞していたテントがあっただけに残念)。
ヒサゴ沼から標準3時間弱の行程を、5時間かかる。
 ↓
午前10時半頃
トムラウシ山頂
 ↓
山頂から南沼キャンプ地への下りで、リーダー格の女性が転倒し負傷。転倒する前から、体調は既に悪化していたらしい。その場に居合わせた別の登山者が、救助要請をすると言い残し、トムラウシ温泉に向かう。
歩けなくなった女性に1人が付き添い、他の2人に下山を促す。
残った2人は、ツェルトと寝袋でビバーク、救助を待った。
接点
動けなくなった愛知の2人がビバークしているとき、福岡のパーティが登ってきたようである。双方のパーティとも、悪天候の中で体調の悪い者を抱えており、全く余裕が無い状態で擦れ違う。
悪天のため遭難者たちは気づいていないが、近くの南沼キャンプ地では停滞していたテントもあった。
21時、釧路上陸
暴風雨
他の2人は、
トムラウシ温泉に下山を継続

途中のカムイサンケナイ川源頭部は増水していて渡渉に苦労したようである。ここは過去にも、増水の川に流された死亡事故がある。
その後の登り返しは、雨が降るとぬかるみの悪路になり、疲れた体には辛い区間だったであろう。
結局、暗くなったため途中でビバーク。
 ↓
15時頃
トムラウシ山頂付近に到着


北沼への下りで、1人が行動不能になる

引率のガイドが、シュラフで覆うなどの防寒措置をとり、夜通し付き添う。
テントやツェルトは持っていなかった。
他の6人はヒサゴ沼避難小屋に向かったが、新聞報道に経過説明が無く、詳細は不明である。
暴風雨にも拘らず、遭難したパーティ以外に、
トムラウシ山近辺には、数十人の登山者がいた模様である。
12日(金) 台風は温帯低気圧になり、オホーツク海で停滞
 ↓
下山の2人は短縮登山口の分岐を通り過ぎ、トムラウシ温泉登山口へ向かう。
午前5時半
トムラウシ温泉に下山

救助隊に発見される。
午前4時半頃
激しい風雨が続いたためガイド自身の体力も尽き、動けない1人を残しヒサゴ沼避難小屋へ向かう。その時点の遭難者の状況については、生死、意識の有無など、報道が無く不明である。

午前7時半頃
「トムラウシ山頂北側付近で1人が動けなくなった」と携帯電話で警察に通報が入る。これも誰が通報したのか不明。

ヒサゴ沼の小屋に避難した7人のうち、ガイドを含め3人は衰弱が激しく歩けない状態になる。
午前11時
付き添っていた1人が下山開始

負傷者は意識不明(亡くなった模様)。
 ↓
下山中に救助隊に発見されたが、自力で下山。

救助隊が意識不明の1人を発見。しかし悪天候のためヘリが飛べず、救出は翌日に。
天候が落ち着くと、救助隊と前後して、一般登山者が続々とトムラウシを目指して入山したそうです。目指す山には、下山の望みが絶たれた遭難者が眠っていました。山頂に到達した登山者は、救出に加わるわけでもなく、付き添うわけでもなく、その横を次々に通り過ぎて行ったそうです。
13日(土) 曇時々雨 救助隊が意識不明の1人を前トム平まで移送。そこからヘリで病院に搬送したが、既に死亡していた。 午前10時頃
救助隊がトムラウシ山頂北側で倒れている女性を発見。意識不明だった。
前トム平まで運び、ヘリで病院に搬送したが、既に死亡していた。

ヒサゴ沼避難小屋に留まっていた7人は、4人が自力で天人峡温泉に下山。疲労の激しい3人(ガイドを含む)はヘリで救出された。
2004年10月5日旭川地裁判決公判
北海道大雪山系トムラウシ山で、登山客の女性を遭難死させたとして、業務上過失致死の罪に問われた当時のガイド(49)=福岡市東区=の判決公判で、旭川地裁は5日、禁固8月、執行猶予3年を言い渡した(求刑禁固8月)。
判決理由で「台風が接近する中で登山を強行するという、プロとは言い難い軽率な判断をした責任は極めて重い」と指摘、同時に「事件後はガイドを辞め、被害者の遺族に謝罪している」と述べた。
遭難の経過については、新聞報道、ML、ネットを通じて知り合った方々などの情報に基いて作成しました。
事実と異なる点がありましたらご連絡ください。
遭難に至るまでの状況を考察すると、批判される点が多々あるかもしれません。ただ、極限状況の中、生死の狭間で揺れ動く心情が、個々の判断にも影響していたのではと思っています。事実に隠れている真実は、当事者でなければ分かりません。ここでは極力、事実経過を掲載するのみに止め、憶測に基づく安易な批評は避けることにしました。
(追加)
尚、2003年6月に、今回の遭難事故を気象の面から検証した本が「山と渓谷社」から発売されました。
当事者からの取材に基づく内容で、遭難に至るまでの経過が綴られています。
他に本州の事例なども含め、全7件の遭難事例が掲載されています。是非一読ください。

「ドキュメント気象遭難」

羽根田 治 著
山と渓谷社
春・・・谷川岳(沿海州低気圧・雪崩)、伊那前岳(突風)
夏・・・トムラウシ山(台風・低体温症)、塩見岳(落雷)
秋・・・立山(太平洋沿岸低気圧・凍死)
冬・・・剣岳(西高東低・異常降雪)、剣岳(二つ玉低気圧・暴風雪)


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